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妄想日記「失敗作じゃない」

木村睦月 18歳 高校生

受験を目の前にして、今わたしの頭の中は「まっしろ」だった。もちろん、進路について無計画だったわけではない。それどころか、「大学生生活を送りたいから」という理由で受験する子たちよりも、美術という道に志を持って受験の年を迎えたはずだった。しかし、画塾に通い始め、いざ本格的に絵と向き合う時間が増えれば増えるほど、まっしろのキャンパスに描くべきものを見失った。そして、朝から昼まで3時間の静物デッサンを終え、講師による講評が終わった昼休み。わたしは、ついに逃げ出した。

画塾の入っているビルの前の公園を抜けて、わたしは隠れるように商業施設のビルに逃げ込んだ。楽し気な音楽が常に流れるビルの中を、わたしはしばらく彷徨う。安価な服が並ぶ店や、アクセサリーショップ、飲食店……わたしは居心地が悪くなって外に出た。服も、アクセサリーも、食べ物も今は欲しくなかった。クラゲのようにふらふらと行き先もなく歩いていると、商店街に差し掛かった。沢山の人が、商店街のアーチに吸い込まれていく。でも、その人ごみの中に制服姿の学生は見当たらない。わたしは、ぎゅっとセーラー服の袖を握ってアーチをくぐった。しかし、人の流れに身を任せているうちに、自分が制服を着ていることは気にならなくなってくる。みんな、自分が思うほど他人のことを気にしてなどいないのだ。だから、わたしを呼び止めて「学校はどうしたの」と責め立てる人はいない。そう思うと、わたしは段々とこの状況を楽しめるようになってきた。わたしは画塾を無断で抜け出した受験生、ではなく、ここではただの人なのだ。

商店街は、太い血管のように真っすぐに伸びている。そこを、流されながら歩いているとふと気になる店を見つけた。他人の邪魔にならないように、わたしは列を外れて店の入り口に近づいた。入り口には黒板が立てかけられており、そこには「どなたでも歓迎します」と書かれている。ガラス張りのドアから中を覗くと、まっしろな空間に長い机が置いてあり、その上にはいびつな形をした焼き物が並んでいる。色とりどりのその焼き物は、一つとして同じ形は無いように見えた。その時、わたしは誰かの視線を感じた。ハッと顔をあげると、ドア越しに白髪の男性がわたしに向かってにこやかにほほ笑んでいる。この店のオーナーだろうか。すると、男性はドアを開けてわたしに「どうぞ」と言った。わたしは、戸惑いながらも言われるがままに店内へ足を踏み入れた。

店内に入ると、男性は店の左奥に置かれた革張りのソファーに腰かけた。わたしは、そっと男性を観察してみる。年齢は50代後半だろうか。白髪は、右から左へ流れるように綺麗にセットされている。細身で、上は光沢のある白いシャツ、下は紺色のテーパードパンツでシンプルながらセンスの良さがよくわかる恰好だった。その男性はそこにいるのだけれど、わたしに対して干渉しない雰囲気を感じる。わたしは、少しほっとして長机の上に並べられた焼き物の前に移動した。どうやら、それらは全て形も大きさも違う「湯呑」のようだった。手に取ってみる。規則性のない表面の凸凹が、自然とわたしの手のひらになじんだ。他の作品も手に取る。先ほどの湯飲みとは違う形なのにも関わらず、こちらの湯飲みも見事にわたしの皮膚に吸いついている。わたしは、手品のようなこの現象に首を傾げる。色も形も大きさも違うのなら、どれか一つくらいなじまなくても不思議でないのに、それらは全てわたしの手のひらになじんで吸いついてしまうのだった。

「そちらの商品は、全て失敗作なんです」突然、頭の上から声が降ってきてわたしは思わず湯呑を落としそうになる。目の前には、いつの間にかあの白髪の男性が立っていた。「失敗作…?」わたしが何とか声を絞り出すと、彼はほほ笑んでこくりと頷いた。そして、彼は左手に握った何かをこちらに見せる。そこには、どこにでもある筒状の湯飲みが握られている。「この子たちは、本来こうなるはずだったんです」わたしは「え」と思った。彼は、こう続ける。「だけれど、温度だったり、釉薬の加減だったりで正しい湯呑になれなかった。だから、本当は捨てられてしまう湯飲みたちなんですね」ゆっくりとワルツを踊るみたいな彼のしゃべり方にわたしも少しずつ解されていく。だからだろうか。知らない人と打ち解けるのに時間がかかるわたしなのに、素直な言葉が零れ落ちた。「でも、わたし、こっちのほうが好きです」彼の目の奥が笑うのが見えた。そして、彼はマジシャンのように両手を広げてこう言った。「素晴らしい。私も、同感です」わたしは、久しぶりに大人の人から褒められて誇らしい気持ちになる。同時に、このいびつな「失敗作」の湯飲みたちに自分を重ねて、自尊心が湧いてくる。「いびつだから、素晴らしい」と、この湯飲みに言われた気がしたのだ。だから、気が付いた時には「あの、これおいくらですか?」と私は声に出していた。彼は、一瞬目を大きく開いてからすぐに何かを理解したようだった。そして、こう言った。「お好きな物を一つ持ち帰ってください。代金は、あなたが思う値段でいいです」わたしは、ポケットから二つ折りの財布を取り出して中身を確認する。3000円と570円。帰りの電車賃が420円。ざっと、頭の中で計算してわたしは3150円を差し出した。本当は、もっと払いたかったけれど、今のわたしの全財産を差し出すことがこの湯飲みと、そして、わたしに対しての礼儀だと思ったからだ。彼の大きなてのひらにお金を渡して、わたしは一番最初に手に取った湯飲みを選ぶ。わたしのてのひらにすっぽりと収まるサイズで、緩やかにねじれた形の湯飲みだった。「これに、します」「ありがとうございます。自分の事のように、嬉しいです」本当にうれしそうな顔で、彼が笑った。つられて私も笑う。そして、今頃画塾では静物デッサンの真っ最中だろうな、と思った。だけれど、もう戻っても大丈夫な気がした。わたしは、失敗作なんかじゃない。

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歌絵文作家 岡山生まれ 本の虫