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妄想日記「愛されたい人」その2

私の脳裏に、6年前の私がなだれ込んでくる。大学を卒業するにあたって、フリーランスの道を選んだ私はその不安と緊張からやけくそな毎日を送っていた。その場限りのつもりで酒を煽り、クライアントになりそうな人間と寝たりもした。そうして、調子が良い子としてある程度年上との対話が増えると、私はカッコいい言葉で自分を武装するようになった。まるで、身体を裂くように現実の私と理想の私はかけ離れていく。ある日、いつものように朝まで飲んで転がるように帰宅すると廊下に立てかけた全身鏡の中の自分と目が合ってゾッとした。鏡の中の私の目は、いつの間にか死んでいた。そんな生きたゾンビになった私に、他人はよくこう言ったものだ。「もっと自分を大切にしなきゃ」「何かできることがあれば言ってね」そう言われるたびに私は笑いながら、心の中でこう思っていた。「皆、口だけだ。彼らは、大切にしてと言った優しい自分に酔っているだけで、私を大切にしてくれないし、助けてもくれないんだから」そんな時、私の今の師匠にあたる映像ディレクターの松尾さんと出会った。彼は、出来ないことは絶対に私に言わなかった。だけれど、私がくじけそうなときは、よく話を聞いてくれた。そして、いつも「期待してる。君には才能があるから」と言ってくれていた。その根気強い励ましに応えたくて、私は人間として再生することが出来たのだった。つまり、愛されていると実感したことで、私はようやく「愛されたい人」を卒業できたのだった。

だから、私には今美咲の気持ちが手に取るように理解できる。しかし、私は彼女にいったい何ができるというのだろう。そう考えると、私は愕然とした。美咲は、きっと探しているはずだ。異性ではなくても、恋でなくてもいい、自分を根気よく励まし、見つめ、愛してくれる人を。しかし、残念ながら私が彼女のそれになることはできない。一人の人間を救うための労力は相当なものだ。いくら自分に似ているからといっても、その労力を他人に注げるほど、私はまだ成熟していないし余裕もないという事を痛感した。私は、最後の一杯を美咲のおちょこに注いで言った。「また、いつかね」すると、美咲は初めて顔中で笑ってこう言った。「それ、さよならってことですね」「うん、だってもう撮影も終わったし、会うこともないでしょう」「私、まきさん結構好きですよ。その正直な感じ」私は自嘲気味に笑って、店員を呼び「お会計を」と言った。

居酒屋を出て、美咲と別れると私は急激に悔しくなった。昔、私に無責任な言葉をかけたあの大人たちと、自分はどう違うというのだろう。そう思うと何故だか涙が出てきた。涙は、冬の寒さに驚いたように震えて、私の目から零れ落ちる。私は、美咲の消えた方向を振り返り小さく手を振った。今夜から、私は「誰かにとっての松尾さんのような、そんな人間にいつかなる」という目標を自分の人生に追加することにした。

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歌絵文作家 岡山生まれ 本の虫