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妄想日記「私の聖域」

佐々木夢 25歳 会社員 2020.12.8

台所が汚れてくると、私の調子も悪くなる。嘘だ、と思われるかもしれないが、これが本当なのである。排水溝が詰まると、ニキビができ、油汚れをそのままにしておくと、身体がだるくなる。だから、綺麗好きだとかそういう理由ではなく、自分の体調管理に「台所掃除」が含まれているから私は掃除をするのだ。

「それ、気のせいでしょ?」我が家に遊びに来た同僚の花が、台所でタバコを吸いながらそう言った。「ホント。だから、灰を落とさないでね」私は、彼女の指先を睨みながら忠告する。花は、私の目線をたどって自分の指先に視線をやると、自嘲気味に笑った。「はいはい、喫煙者は邪魔者ってことね」「今の時代、どこでもそうだと思うけど」「きっつーい」花は、缶コーヒーの空き缶にタバコを捨てた。ジュっと歯切れのいい音が鳴る。花は、その空き缶をこちらに差し出して「もう、吸わないから捨ててもらえる?」と言った。我ながら、さすがに圧力をかけすぎたかなと思いつつ、黙ってその空き缶を受け取った。すると、私が空き缶を捨てる様子を眺めながら、花は考え込むようにこう言った。「でも、私もクローゼットの中が乱雑になると、体調崩れるかも」「クローゼット?」「うん、セーターとか畳むのめんどくさがったり、バッグを並べずにそのままにしてたりすると、生理前みたいにお腹が重くなる…ことがあるかもしれない」花は、お腹辺りで掌を小さく揺らしてそう言った。私は、乱雑なクローゼットの前でお腹を押さえてうずくまる花を想像してみる。…何とも、リアリティがない。「え、何それ。気のせいじゃなくて?」「おいおい、自分を棚に上げるなやー」「だって、そんな科学的に証明できないこと…って、私もか」「ほら、みたことか!」まるで芸人みたいなやり取りに、二人で笑った。

すると、花が思いついたように言った。「ねえ、これ、もしかしたら私たちだけじゃないのかも」「うん、それ私も思った」そうして、二人顔を見合わせて頷くと、それぞれ思いつくままに知り合いに電話をかけて回った。「ああ、もしもし?今大丈夫?今さ、とある調査をしていて…」「久しぶり!ちょっと、聞きたいことがあってさー…」狭いワンルームで、知り合いに電話をかけ、不可解な質問をしている私たちは、傍から見たら相当怪しい連中に映るだろう。そんなことを、想像すると面白くて、私たちは悪戯好きだった10代に戻ったみたいだった。そして、大体20人ほどに電話を掛けた結果、なんと半数の10人がこの現象に心当たりがあるという事が分かった。高校時代の友達は、財布の中が汚れてくると、心が荒むらしく暴飲暴食に走る気があるらしい。大学時代に付き合っていた元カレは、洗濯機の槽洗浄を怠ると、仕事でミスすることが多いという。そして、花の幼馴染は、仕事机の上が乱雑になると、些細なことでイライラとしてしまう傾向があるらしい。そんな、どうでもいいような、しかし世紀の発見かもしれないデータを前に、私たちは今、考えを巡らせている。「これはさ、つまりそれぞれの「聖域」があって、そこがその人の感情や体調のバロメーターになってるってことなんじゃないかな」私は、するめをつまみながらそう言った。対する花は、ビールを片手にこう言った。「なるほど、それが夢にとっては台所で、私にとってはクローゼットだと。夢は、料理が好きだから台所に立つ時間も長いだろうし、私は服が好きだからクローゼットは良く使うもんね。」「うん、だから、自分が好きなものや場所が汚れてくると、何となく気分が重かったりするんじゃないかなあ」「なんか私たち、一つの神秘を解き明かしちゃったね」「ノーベル賞くれんかね」「ぎゃはは」花が、笑いながら二本目のビールに手を伸ばす。私は、二袋目のするめの封を開けた。今日は、くだらなくて気分が良い。

すると、花は悪戯に笑ってこう言った。「やっぱ、タバコ吸おうかな」「おい、やめなさい」「ほら、わざと灰を落としてみて本当に夢の体調が悪くなるのか、実験しないと」「じゃあ、今度花のクローゼットを荒らしてもいいんだね?」「えー、やだ!」そんなやり取りをしながら、私はちらりと台所を見る。磨かれたシンクが、光を弾いて輝いている。私は「本当か本当じゃないかは、どうでもいい。私の聖域があることで、これからの毎日が少し生きやすくなればそれでいい」と、そう思った。

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歌絵文作家 岡山生まれ 本の虫