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妄想日記「愛されたい人」その1

嘉田まき 映像ディレクター 28歳 2020.12.17

「今、目の前に6年前の私がいる」中目黒の居酒屋の個室で、知り合ったばかりの美大生と熱燗を分け合いながら、私はそう思った。都内の美大で映像を学んでいるという美咲とは、とあるアーティストのミュージックビデオの撮影現場で出会った。撮影現場にお手伝いとして、学生がやってくることはよくある事だ。しかし、彼女は他の学生と少し雰囲気が違っていた。まず、映像の世界で一人前になることを目指している学生なら、小さな仕事だとしても皆、現場では目を輝かせながら走り回っている。好きなことをやっている、という自負が彼らをキラキラと発光させるのだ。だが、美咲と名乗った彼女はいつも気だるそうで、ふと目を離すと消えてしまいそうな危なげな雰囲気を放っていた。その時、私は「そういう子もいるのか」くらいにしか思っていなかった。現場で私は、全てを仕切る監督であり、彼女は期間限定のお手伝いに過ぎなかった。

そんな彼女と、なぜ今こうしてサシで呑んでいるのかと言うと、私の友人でグラフィックデザイナーの佐久間からのたっての頼みだったからだ。佐久間は、私に電話をしてくるなりこう言った。「ねえ、まきちゃん今〇〇さんのMV撮ってるでしょ?」「え?なんで、しってんの?」「えへへ、実は僕が可愛がってる期待の若手がその現場でお手伝いしてるのさ」「へえ、誰?」私は、現場を見回しながら「さて、どの子だろう」とワクワクしながら聞いた。すると、佐久間は張りのある声でこう言った。「一度しか言わないからよく聞いてね。美咲ちゃんって子。近藤美咲ちゃん」「うそ」「ははーん、すごい残念そうな声」「だって…」私は、携帯を耳に付けたまま美咲の姿を探した。彼女は隅っこの方で、1人でタバコを吸っている。何度見ても「期待の若手」という言葉からはかけ離れているように見えた。「昔のまきちゃんにそっくりだよ」佐久間はそう言って続けた。「今、美咲ちゃんは迷子時期だからちょっとまきちゃんが背中押してやってくんないかな」「えええ」「今度、一緒にまきちゃんの好きなBL映画見にいってあげるから」私は、その条件を呑むことにしていった。「乗った。とびきりエロいやつ選ぶから覚悟して」受話器の向こうで佐久間が「おええええ」と悲鳴を上げるのが聞こえた。

そうして、今夜を迎えたわけだが初め美咲は緊張しているようだった。とにかく、ずっと作り笑いをしているし、会話の空白が苦手なのだろう、黙る度にタバコに火をつけていた。そんな美咲を見ていると、何だかこちらも肩のあたりに力が入って変な酔い方をしてしまいそうだった。私は、彼女をゆっくりと眺めた。ブリーチをしただけの、傷んだ金髪。青白い肌には、化粧らしきものは施していない。その証拠に、目の下のクマがやけに目立っていた。そして、何より目が死んでいる。笑っても、黙っても、彼女の目は色を変えることはなく、私は乳白色の澱んだ沼を覗き込んでいるような気分になった。

「美咲ちゃんは、佐久間とどう知り合ったの?」私は当り障りない質問から始める。このぐらいの年の子は、質問をするより質問をされる方が得意だ。彼女は、ぱっと顔をあげて答えた。「恵比寿の飲み屋で出会いました」「へえ、もしかして〇〇?」「そうです。私、お金がやばくなるとそこによく行くんです」「ああ、男の人におごってもらうんだね?」「はい。財布持っていかなくても、あそこに行けば何とかなります」「わあ、若いなあ。じゃあ、そこで佐久間に出会っておごってもらってから仲良くなったって感じかな」「そんな感じです。佐久間さんも作る人だから色々相談乗ってもらってて」美咲の口が徐々に滑らかになっていくのが分かった。私は、少し踏み込んだ質問をすることにした。「美咲ちゃんは、どうして映像を選んだの?」すると、何度もいい慣れた呪文のように彼女の声の速度が上がった。「子どもの頃、親が共働きで。全然、相手をしてくれなかったんです。もちろん、二人が働いてくれたから私は生きていけたわけで。でも、結局そのお金を父はギャンブルに、母は恋人に使っていたので、実際のところ私は肩のところがパツパツになるまで新しい服は買ってもらえませんでした。私服登校の学校だったので、同じ服を着ていた私は「汚い」と虐められて、友達もできなかったんです。」美咲は、そんな話を相変わらずにこにこしながら話す。「家にいても、学校にいても孤独。そんな時、私は頭の中でいろんな理想を妄想して遊んでいました。いじめっ子を、木にくくりつけて八つ裂きにしたり、大勢の友達と丘でピクニックをしたり、母親としまむらに行って二人で服を選んだり…最初はそういう現実的な妄想を楽しんでいました。妄想することで一日一日を生き延びていたんだと思います。そして、そのうち、もっと非現実的なことを妄想するようになりました。」そこまで、言うと美咲はちらりと私を見た。私は、頷いて言った。「例えばどんな妄想?」「例えば、海の水が全部逆流した雨みたいに空に帰っていく妄想とか、天使が公園の噴水で水浴びをして遊んでいる妄想とか。そういうのを、目を瞑らなくても目の前の景色に加工して映すことができるようになってから漠然とこの映像を他者にも見える形で残したいと思ったんです。それが、映像を選んだ理由です」美咲は、言い切ると酒を一口飲んで笑った。その時、私の脳内では佐久間の「昔のまきちゃんにそっくりだよ」という言葉が蘇っていた。そして、「なるほど。確かに、この子は私に似ている」と思った。なぜなら、不思議なことに彼女の心の内がほとんど私には理解できた。つらい話を、笑いながら話す理由も、こんなに言葉にすると立派な理由なのに熱意が感じられないのも、私にはよく分かっていた。私は、最終確認のつもりで彼女に質問をした。「美咲ちゃん、恋人は?」すると、彼女はタバコに火をつけて笑った。「適当に、やってます」私は、ビンゴだと思った。この子は「愛されたい子」なんだと。

→その2へ続く

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歌絵文作家 岡山生まれ 本の虫