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モンシロチョウ

ピアノを弾きながら
窓の外を見ると、空き地が見える。

空き地といっても田舎者の私からすると、そのサイズはかなり小さいし、鎖で入れないようになっているので、そこで子供たちが遊んでいるところを見たことはない。道に接していないので、おそらくここに家を建てる人もいないだろう。そういった意味で、そこは小さな無法地帯。もしくは、東京では珍しい未開拓の地だ。

今日も、その空き地を見つめながらピアノを弾いているとヒラヒラと小さな物体が舞っていた。

「ああ、モンシロチョウか」

そう呟いてみてから、懐かしさに襲われる。地元では、慣れ親しんだ蝶々だが、そういえば東京に来てからモンシロチョウを見ることはあまりなかった。しばらく私はモンシロチョウを目で追って、ピアノにもモンシロチョウにも飽きて席を外した。

それから、息抜きに家事をしている間、私はモンシロチョウのことを完全に忘れていたが、またピアノの練習を再開させ空き地に目をやるとモンシロチョウが飛んでいた。

思わず、時計を見る。最初に見てから、1時間が経過していた。そうすると、急に思考はモンシロチョウへの興味一色になりまた立ち上がる。引き寄せたパソコンで、モンシロチョウについて調べる。子供の頃、理科の授業で習った気もするし、あれはアゲハチョウのことだった気にもなる内容がズラリと並んでいた。

モンシロチョウで飛び回るのは殆どがオスであること。メスが羽化するのを待ち、メスは産卵にエネルギーを使うためあまり飛ばないのだそうだ。そして、幼虫の時期も合わせてもその生涯は2ヶ月ほどであることがわかった。

儚い生物としては「蝉」や「陽炎」の方がイメージしやすいが、モンシロチョウもなかなかの儚さだ。

窓際に立ち、上から空き地を見回す。その少ないスペース内に他のモンシロチョウは見当たらない。私は、歯がゆくなって飛び続けるモンシロチョウに教えてあげたくなった。

「そこを探しても無駄骨だ。他を当たりな。」

そう、心の中で叫ぶと昔の光景がフラッシュバックした。いつだったか、私は同じ気持ちを抱いたことはなかったか?今日みたいに、見てしまった事実を誰かに教えたくなったことはなかったか?

それは、学生時代の放課後。仲の良い友達が好きだと言っていた男の子が、女の子と手を繋いで帰っているのを見た。まだ噂話が耳に入ってきていなかったので、きっと最近付き合い始めたんだろう。二人は、私が見てしまったことなんて気づきもせずに笑いあっている。

次の日、友達とお昼ご飯を食べながらいつも通り、恋の話が始まった。

「○○くんってさー、かっこいいよね。」
「○○くんとのメール、結構いい感じだと思うんだよね。どう思う?」

彼女が、ガラケーを開いて私の前にかざしている。私は、なんと言おうか迷った。「実はさ、昨日見ちゃったんだよね。隣のクラスの○○さんと手を繋いで帰ってるの。」そう、言いかけて私は結局「うん、いい感じじゃん。」と呟いた。少し、声が掠れてしまって心臓がきゅうと小さくなったのを覚えている。

「あの人は、もうやめたほうがいいよ。」
と言ったとして、友達は「なんで?」って言うだろう。
「あの人には、彼女がいるみたいだよ。」
と言ったとして、友達は悲しんで傷つくんだろう。

昼休み後の授業中、思わずため息が出た。言わずに傍観することと事実を言うこと、どちらが友達を裏切ることになるのかわからなかった。どちらにせよ、誰かが傷つくことになるのだ。

「知らなきゃ、よかった。」
本当にそう思った。

あれから、何度も同じような場面に出くわし、その度に私は「言うか」「言わないか」の選択をしてきた。26年間のデータをまとめると圧倒的に「言わない」方が事故が少ないことも分かった。そして、同時に「知っている」と言うことで傍観し続けてもいけないということは逆の立場になった時に学んだ。

私は、窓のブラインドをそっと閉めた。
ピアノの前に腰掛け、譜面だけを見つめて弾く。いつのまにか、夕方になっている。

モンシロチョウが、まだ飛び続けているのか私は「知らない」

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SETA 公式note

singer "song & novel" writer  岡山生まれ 本の虫

SETAの日々煩い

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