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「ない」ということ。

今年最後の夏休みで
北海道の十勝へ行ってきた。

北海道自体、はじめて。
はじめてで札幌ではなく十勝へ行くという
へそ曲がりな私らしい夏休みが始まった。

空港について、レンタカーを借りて、いざ!走り出すと道があまりに完璧な「一本道」で驚いた。まっすぐな飛行機雲のような道が地平線の向こうまでつながっている。地上と空の境目がくっきりと浮かび上がり、地上は緑、空は濃い青で面白いほど統一されている。

時々、本物の牛や馬が
黙々と草を食べている光景が
窓の外を流れていく。

それ以外、何もない。
それ以上、何もいらない。
まさに、そんな場所だった。

宿泊施設のスタッフさんが
なかなか面白い人たちで
雑談をしているうちに夕方になった。

そこのスタッフさんたちはみんな
出身地がバラバラで、東京から
派遣されてやってきたという。
そして、十勝の魅力に取り憑かれ
もう帰れなくなってしまったと言っていた。

どうして、人をそこまで魅了する力がこの場所にはあるのだろう?

一泊二日、滞在してみて
私には気づいたことが1つある。

それは、この場所にはなにも「ない」という豊かさがあるということだ。東京には、なんでも「ある」ように思える。服だって、街に出れば一生かかっても着尽くせないほど売っているし、食料だって近所のスーパーに行けば大概のものが手に入る。ネットで、通販をすれば翌日には届くし、暇つぶしにカフェへ行ったり映画館へ行ったりできる。

でも、この選択肢の多さは
気づかないうちに人を辟易させるし、本当に欲しいものにはたどり着けない物足りなさを感じてしまう。もっともっと…服が欲しい。もっともっと…と、もっともっと星人になってしまうのだ。

逆に、「ない」ことというのは非常にシンプルだ。服をたくさん持っているよりも、機能性の高い( 気候にあった )服をいくつか持っているほうがいいし、商業施設がないなら自転車でみたい景色を見に行く。「ない」世界の、時間の流れはとてもゆっくりとしていて豊かだった。

スタッフさんの1人は
冬になるとマイナス25度の世界で池に浸かるという行事に参加しているらしい。「完全に拷問じゃないか!」と普通なら思う行事だが、それがたまらないと言う。

「外はマイナス25度ですが、水の中はマイナス2度とかあったかいんです。」と、ニコニコ笑顔で言ってのける。彼にとっては、真冬の池さえもがテーマパークのアトラクションになるようだ。私は絶対に参加したくないけれど、なんだか「楽しそうだな」と思った。

もちろん、私はまだ「ある」世界の住人だ。
ネット通販が大好きだし、服も大好きだ。
だけれど、たった一泊二日でも「ない」世界を体験したことで新しい豊かさと出会えた。人間をあるべき姿に帰してくれる十勝というあの場所で。

#北海道のここがえーぞ

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SETA 公式note

singer "song & novel" writer  岡山生まれ 本の虫

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