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旅立ちの日に

転校、卒業式、恋人との別れ、休学、上京…。
わたしの人生で起きた旅立ちの日を挙げるとせいぜいこのくらいで、拍子抜けする。もっと、劇的で、感動的な旅立ちがあったはずなのだけれど、箇条書きにすると随分あっさりとしている。

わたしの旅立ちの日は、毎回とにかくバタバタしていた。ドラマや映画みたいなしんみり物思いにふけるなんてファンタジーで、実際は、準備に追われ、そのうちに飛行機なり新幹線なりの時間が迫ってきて、汗だくになりながらなんとか乗り込み、汗を拭いたあたりで忘れ物に気付くか、大切な人たちにさよならを言ってなかったことに気付くかして、もうはるか後ろに流れてしまった街をぼうっと眺めるしかない。大体そんな風だった。

中でも、鮮明に覚えている旅立ちは、大学進学のため初めて親元を離れる日と、大学を休学して大学のある街から上京した日。どちらのエピソードも話したいのだが、長くなりそうなので初めて親元を離れた日のことを話そうと思う。

地元岡山から、大学のある栃木の宇都宮に引っ越したのは、約8年前のことだ。初めての一人暮らし、初めての大学生活、初めて自分だけの洗濯機や冷蔵庫を持ったのも、わたしの心を踊らせた。当日、母が引越しの手伝いとして一緒に宇都宮に来てくれた。母と宇都宮へ行くのは、受験日以来、2度目のことだった。わたしが住むことになったのは、大学から徒歩10分ほどのアパートだ。アパートの住民のほとんどが大学生というような、そんな建物だった。

母は、ずっと目に映るもの全てを褒めていた。駅を出てからは「いい雰囲気の街ね」と言い、横断歩道を渡る時すんなり車が停車してくれたことに対し「歩行者に優しいなんて素晴らしい」と言い、アパートに着くと「広くて綺麗で見晴らしも良いわね」と言い、大学までの通学路を確認していると「静かで本当にいい場所だ」と言っていた。しまいには、餃子屋で水餃子を頼むと「200円でお腹いっぱいになれるなんて最高ね」と笑っていた。そんな、ポジティブマシンと化した母が恥ずかしくて、わたしは黙って水餃子のスープを飲み干した。

でも、今思えば
母はとても不安だったのかもしれない。

なかなか子供ができなくて、ようやくできた一人娘が、自分の手を離れて生活する。自分で言うのもおかしいけれど、かなり手がかかる子供だったし、随分おかしな子供だったので、母の気持ちになれば不安になるのも容易に想像できる。それと同時に、寂しさもあったのかもしれない。

夜、何も敷いていない硬い床の上に寝袋をひいて母と並んで寝た。わたしはなかなか寝付けなくて、母の寝息を聞いていた。すると、今まで自分の暮らしてきた家での風景がフラッシュバックして、千葉にいた頃は、アパートが狭くて二枚の布団に母と父と私の3人で寝ていたこと、岡山の実家で自分の部屋に勝手に入ってくる母に怒っていたこと、飼っていた犬のこと、恋人のイニシャルが書かれたタイルを貼った自分の部屋の壁のこと。あんなに早く大人になって、自由に生きたかったくせに、いざ今までの思い出が自分から離れていくと、急に心がどんどん縮んでいって泣きたくなった。

それから、時は流れてようやく一人で暮らすと言うことに慣れた。洗濯物は、ちゃんとタグを見てから洗わなくてはいけないことや、食べ物は冷蔵庫に入れていても腐ることや、いつのまにか埃は溜まることを少しずつ学習した。そうして、心の余裕ができ始めてから、やっといくつかの旅立ちの日について思い出せるようになった。ドラマティックでもなく、ドタバタとしていて、ただただ夢と希望と大きな不安に戸惑っていた19の春から8年が経った。母が「素晴らしいね」と褒めたあの街を、私も心の中で8年越しに褒めたくなった。


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singer "song & novel" writer 岡山生まれ 本の虫

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