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妄想日記「横浜小旅行」

戸塚透子 29歳 2020.12.1

あの頃、旅行と言えば「横浜」だった。10代でお金もなかったし、ちょっと遠くて街を歩くだけで旅行気分が味わえる横浜は、特別な日のデートにもってこいだった。今、29歳になって旅行ではなく仕事で横浜にやってきた私は、そんなことを思い出していた。

「先輩、次の打ち合わせまで2時間あるので昼ご飯にしませんか?」打ち合わせが終わるや否や後輩の美玖が軽くお腹を押さえながら言った。「ああ、そうだね。なに、食べたい?」「何でもいいです!私あんまり横浜、詳しくないので」「…じゃあ、マクドナルドでもいいの?」「せ、せんぱーい。意地悪だなあ」「ふふっ、冗談。美味しい中華でも食べよう」「やったー!そう来なくっちゃ!先輩、神!」そう言ってはしゃぐ美玖を横目に、私も数年前まではこんな感じだったなあと思う。それが、また過ぎ去ってしまったようで寂しくもあり、成長しているようで誇らしくもあった。

中華街の中にある二階建ての中華料理屋に入ると、私たちは窓側の席に座った。ランチにしては遅めの時間だからか、店内はそんなに混みあっていない。私は、メニューを開き「酢豚セット」にすることにした。目の前では、美玖が「フカヒレってあの繊維みたいなのが入ってるスープの事ですよね?」と言っている。私は、少し笑って答える。「正解ではあるけど、世の中には塊になったフカヒレもあるのよー」「え!フカヒレって塊なんですか?カニカマみたいな?」「あ、それいい例えかも。カニカマが塊のフカヒレだとして、普段私たちがフカヒレだと思ってるやつは、それをほぐしたやつって感じね」「なるほど…、じゃあ、やっぱり私も酢豚セットで」私は頷いて、店員を呼び、注文をした。そして、運ばれてきた水を飲む。とてもよく冷えていて、気持ちがよかった。なんとなく、私が窓の外を眺めていると美玖が話しかけてきた。「このお店、もしかして恋人と来たりした場所ですか?」「ううん、残念ながら私も先輩に連れてきてもらって知ったのよね」「じゃあ、このお店は代々我が社の営業部に引き継がれているお店なんですね」「ははっ、確かにそういうことになるかもね」「私もいつか一人前になったら後輩を連れてきます!」「おお、頑張りなさいねー」そんな話をしていたら、料理が運ばれてきた。相変わらず、手品のように早い調理だな、と思いながら酢豚を口に運ぶ。すると、口の中には酸味と肉のうま味が広がっていく。そして、味の濃さを中和するようにご飯を口の中に押し込んだ。仕事を頑張った分、身体は正直に飢えていたらしい。それから私たちは、一言もしゃべらずに酢豚セットを平らげた。

店を出ると、なんとまだ30分しか経過していないことに驚く。「まだ、時間あるしちょっと歩こう」「ですね。食べすぎちゃったし、歩きましょう!」そうして、私たちは中華街をのろのろと歩き始めた。すると、「横濱媽祖廟」が見えてくる。中国特有の色遣いに、豪奢な装飾が施された建物は、いつ見ても迫力と異国の風を感じさせてくれる。私たちは、思わず立ち止まって、その建物を見上げていた。すると、私の脳裏にいろんな思い出が流れ込んできた。昔付き合っていた人と、初めて横浜に訪れた時の事、友達と食べ歩きした事、また違う人と付き合って「初めてだ」と嘘をついて中華街を歩いた事。そんな一つ一つの思い出が懐かしく、そして、今では行こうと思えば本当に中国に行くこともできる事実が時の流れを私に教えていた。美玖が、私の隣で「旅行してるみたい」と呟いた。その後ろを、修学旅行生たちが笑顔をキラキラと輝かせて通っていく。私は、目を細めた。こうして、誰しもの中に横浜という旅行の思い出が生まれていくのだろう。

過去の私にとっては、特別なデートの場所であり、今の私にとっては、先輩として後輩を案内する場所である。未来の私にとっては、どんな場所になるのだろう。そんなことを想像して、私は私の未来に少しワクワクとした。

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歌絵文作家 岡山生まれ 本の虫